エンプロイアビリティ幻想

日々必死に努力し続ける

エンプロイアビリティ(雇用され得る能力)を持たなければならない。生きていくために必要な能力。生活するために必要な能力。給料をもらうために必要な能力。働くために必要な能力。その能力を持つために人々は日々必死に努力し続けている。

価値のある能力とは

エンプロイアビリティは、そもそも雇用する側の都合で語られる能力だと思う。人には様々な能力があるけれど、その企業がその能力を必要としているかどうかによって、「価値のある能力」なのか「価値のない能力」なのか決定される。

雇う側の論理

つまり、エンプロイアビリティの主導権は常に雇う側(企業側)が持っていることになる。この企業側が求めるエンプロイアビリティも常に一定ということではない。環境の変化により企業も変化し続けているし、環境の変化に摘要できなければ衰退していく。エンプロイアビリティもその変化により常に変わっているのが現実である。その変化についていくために、新たなエンプロイアビリティを持たなければならないのである。

資格を取得する意味

エンプロイアビリティは「資格を取得する」という側面もある。ある業務を行うために必須の資格があるとしたら、その業務はその資格保有者しか遂行できない。しかしながら資格を持っているからと言って、企業がその人間を雇用し続けるかどうかというのは、別問題だと思う。なぜなら資格保有者は、企業内外にいくらでもいるから。いつでも資格保有者を取り換えることができるのである。つまり資格を所持しているからと言って、その資格が必ずしもエンプロイアビリティとしての役割を果たすとは限らないのである。

人生の成功を勝ち取る条件

「人生の成功を勝ち取るためには、大企業に入り高収入を得ることが必要である」これが幸福の定義であると信じている人やその親、周りの人々は、大企業に入社するために、よりレベルの高い大学を受験する。よりレベルの高い大学に入学するためによりレベルの高い高校を受験する。よりレベルの高い高校に入学するために、よりレベルの高い中学校を受験する。よりレベルの高い中学校に入学するために、よりレベルの高い小学校を受験する。よりレベルの高い小学校に入学するために、よりレベルの高い幼稚園を受験する・・・

雇用されることの意味は?

これらの過程で得られる能力は、計り知れないほど尊いものであるし、価値のあるものです。しかしながら、だからと言って、企業の言う「エンプロイアビリティ」を満たすかどうかは、全くの別問題ということです。雇われる側が考える「エンプロイアビリティ」と雇う側の考える「エンプロイアビリティ」は全く別物と言えます。それを解明するためには「雇用される」という考えを整理する必要があると思うのです。

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